
建物や施設の安全を守るうえで、万が一の停電時に消火設備へ電力を供給する「非常用発電機」の存在は欠かせません。しかし、設置されているだけで、いざという時に正常に稼働するかどうかの確認が十分でないケースが見受けられます。
平成30年6月の消防法改正に伴い、非常用発電機の点検要領において「負荷運転」に関する規定が見直されたことは、多くの建物管理者様やオーナー様にとって大きな関心事となっているのではないでしょうか。この改正は、災害時に発電機が動かないというリスクを低減し、実効性のある点検を行うことを目的としています。
単に法令だから従うというだけでなく、エンジンの特性を踏まえた適切なメンテナンスを行うことは、設備の寿命を延ばし、人々の命と財産を守ることにつながります。本記事では、法改正後の点検制度の変更点や、なぜ負荷運転が重要視されているのかという技術的な背景、そして安全管理としてどのような判断基準を持つべきかについて解説します。これからの施設管理における新しい常識として、ぜひ参考になさってください。
1. 消防法改正により見直された点検制度の概要と負荷運転が重要視される背景について
消防法改正によって非常用発電機の点検基準が大きく見直されたことは、施設管理者やビルオーナーにとって周知の事実となりつつあります。しかし、制度が変わったことで「点検が楽になった」「負荷試験はやらなくて済む」といった誤解が生じているケースも少なくありません。ここでは、法改正の正確な概要と、なぜ依然として負荷運転(負荷試験)が重要視されているのか、その技術的・安全管理的な背景について解説します。
まず、点検制度が見直された最大のポイントは、一律に義務付けられていた「1年に1回の負荷運転」という要件に対し、「予防保全策」という新たな選択肢が加わったことです。以前の規定では、実質的な運用が困難なケースが多く、点検実施率が低迷していました。そこで総務省消防庁は、適切なメンテナンスが行われていることを条件に、負荷運転の実施周期を延長(最長6年ごと)することを認めました。具体的には、「内部観察」等の点検を行うことで、毎年の負荷運転に代えることができるようになったのです。
この改正は点検の効率化を意図したものですが、決して「発電機の性能維持を軽視してよい」という意味ではありません。むしろ、災害時に確実に稼働させるための実質的な信頼性がより強く求められるようになったと言えます。
ここで重要になるのが、負荷運転が必要とされる「技術的な背景」です。非常用発電機の多くはディーゼルエンジンを採用しています。日常のメンテナンスで行われる「無負荷運転(アイドリング運転)」だけの点検を長年続けると、エンジン内部やマフラーに未燃焼の燃料やカーボン(煤)が堆積する「ウェットスタッキング」という現象が発生します。
カーボンが堆積した状態で、いざ災害が発生し非常用発電機がフル稼働しようとすると、剥がれ落ちたカーボンが排気管を詰まらせたり、異常燃焼を引き起こしたりして、エンジンが緊急停止してしまうリスクが極めて高くなります。実際に、東日本大震災などの過去の大規模災害時には、整備不良やカーボンの堆積により、多くの非常用発電機が正常に稼働しなかったという報告がなされています。
負荷運転を行う最大の理由は、定格出力の30%以上の負荷をかけて運転することで排気温度を上昇させ、内部に溜まったカーボンを焼き切ることにあります。つまり、負荷運転は単なる「動作確認」ではなく、エンジンの健康状態を保つための「クリーニング」の役割も果たしているのです。
法改正により点検手法の選択肢は増えましたが、発電機が抱える「カーボン堆積」という構造的な課題が消えたわけではありません。スプリンクラーや屋内消火栓などの消防用設備へ確実に電力を供給し、人命と財産を守るためには、定期的な負荷運転による性能確認と燃焼系等の維持管理が不可欠であることは、新制度下においても変わらない常識なのです。
2. いざという時の作動不良を防ぐために理解しておきたい発電機エンジンの特性とメンテナンス
非常用発電機がいざという時に稼働しない、あるいは稼働してもすぐに停止してしまう原因の多くは、実はこれまでの点検方法とエンジンの特性とのミスマッチにあります。法令で定められているから実施するという意識から一歩進んで、なぜ負荷運転が必要なのか、そのメカニズムを正しく理解することは、施設管理者として非常に重要です。
まず、ビルや商業施設に設置されている非常用発電機の多くは、ディーゼルエンジンを採用しています。ディーゼルエンジンは耐久性が高く、熱効率が良いというメリットがある一方で、「低負荷での運転」や「短時間の運転」が続くと不調をきたしやすいという特性を持っています。これは、自動車で例えるなら、一度も高速道路を走らず、暖機運転だけを何年も繰り返しているような状態に近いと言えます。
従来行われてきた無負荷運転(アイドリング状態での点検)だけでは、エンジン内部の温度が十分に上昇しません。ディーゼルエンジンは本来、一定の負荷をかけて燃焼室内を高圧・高温に保つことで、軽油などの燃料をきれいに燃やし切るように設計されています。しかし、負荷をかけない状態で運転を続けると、シリンダー内の温度が上がらず、燃料が不完全燃焼を起こしてしまいます。
この不完全燃焼によって発生するのが、カーボン(煤)や未燃焼の燃料カスです。これらはスラッジとなってピストンリングやバルブ周辺、排気系統に徐々に堆積していきます。業界では「ウェットスタッキング」と呼ばれるこの現象が進行すると、排気管から黒煙が出たり、オイル漏れのような症状が見られたりするようになります。最悪の場合、非常時に発電機が起動した際、排気管内で溜まっていたカーボンや未燃焼燃料に引火し、発電機そのものが火災を起こすリスクさえあるのです。
ここで重要になるのが、消防法改正後より一層注目されている「負荷運転」です。定格出力の30%以上の負荷をかけて運転することで、エンジン内部の温度を適正値(約400度以上)まで上昇させることができます。これにより、内部に堆積していたカーボンを焼き切り、排出させることが可能になります。いわば、エンジンのデトックスを行うようなものです。
つまり、負荷運転による点検は、単に法令違反を防ぐための事務的な手続きではありません。長期間の待機状態で蓄積されたエンジンの不調要因を取り除き、災害発生時に確実に電力を供給できる状態へリセットするための、物理的に不可欠なメンテナンス作業なのです。このエンジンの特性を理解していれば、コスト面だけでなく、防災設備としての信頼性を確保するために負荷試験がいかに合理的であるかがわかるはずです。
3. 建物の安全管理における法令順守の観点と負荷試験を実施する際の適切な判断基準
建物のオーナーや施設管理者が最も恐れるべき事態は、万が一の火災発生時に非常用発電機が正常に稼働せず、スプリンクラーや屋内消火栓ポンプといった消防用設備が機能しないことです。人命に関わる重大な事故を防ぐため、消防法では自家発電設備の定期的な点検と報告が厳格に義務付けられています。ここでは、建物の安全管理における法令順守の重要性と、負荷試験を実施すべきかどうかの具体的な判断基準について解説します。
法令順守違反のリスクと社会的責任
消防法に基づく点検報告制度は、単なる形式的な手続きではありません。報告を怠ったり虚偽の報告を行ったりした場合、消防法第44条などの規定に基づき、罰金や拘留といった刑事罰が科される可能性があります。さらに、実際に火災が発生した際に整備不良が原因で被害が拡大すれば、管理権原者は業務上過失致死傷罪に問われる恐れもあり、企業や組織としての社会的信用は失墜します。
総務省消防庁が通達を出しているように、法改正によって点検方法の選択肢は広がりましたが、それは「点検を簡略化してよい」という意味ではありません。あくまで科学的根拠に基づき、設備の性能を確実に担保できる方法を選ぶことが求められています。コンプライアンス(法令順守)の観点からも、コスト削減のみを優先した安易な点検逃れは最大のリスク要因となります。
負荷試験を実施する際の適切な判断基準
法改正により、従来の「実負荷試験」や「模擬負荷試験」に加え、「内部観察」等の検証方法も認められるようになりました。しかし、すべてのケースで内部観察が最適とは限りません。以下の基準を参考に、自社の設備にとって最適な点検方法を選択する必要があります。
1. エンジンのコンディション維持(予防保全)の観点
ディーゼルエンジンを使用している非常用発電機の場合、無負荷や低負荷での試運転を繰り返すと、シリンダー内や排気管に未燃焼燃料(カーボン)が堆積しやすくなります。これが「湿式」と呼ばれる状態を引き起こし、エンジンの不調や火災の原因となることがあります。
負荷試験(特に30%以上の負荷運転)**には、堆積したカーボンを燃焼させ排出するクリーニング効果が期待できます。そのため、長期間にわたり本格的な運転を行っていない設備や、排気色が黒煙気味である場合は、内部観察よりも負荷試験を実施することで、性能確認と同時にエンジンの健康状態を回復させることが推奨されます。
2. コストと手間のバランス
一般的に、内部観察を行うにはエンジンの分解整備が必要となる場合があり、部品交換などの追加コストが発生することがあります。一方で、模擬負荷試験装置を使用した負荷運転は、分解を伴わずに発電性能を数値で正確に測定できるため、結果的にコストパフォーマンスが良いケースも多く存在します。一般社団法人日本内燃力発電設備協会などが示すガイドラインを参考に、見積もり比較だけでなく「設備の延命」につながるかどうかで判断することが重要です。
3. 設置環境と近隣への配慮
実負荷試験(建物内の電気設備を実際に稼働させて行う試験)は、一時的な停電を伴う場合があり、テナントビルや病院などでは実施が困難なことがあります。また、模擬負荷試験であっても排気ガスや騒音が発生するため、都市部の密集地では事前の対策が必要です。こうした環境的制約がある場合は、分解点検による内部観察が有力な選択肢となります。
結論として、法令順守を全うしつつ建物の安全を守るためには、「とにかく安く済ませる」のではなく、「いざという時に確実に動く状態にする」ことを最優先に考えるべきです。信頼できる消防設備士や専門業者と相談し、発電機の設置年数や過去のメンテナンス履歴に基づいた最適なプラン策定を行ってください。